「東地中海」という言葉は日本ではあまり使われることはない。単純に地中海の東半分を意味しているのだが、古代史においては新しい研究の枠組として最近よく使われている。いわば、それぞれ別々に論じられることが多くなっている沿岸地域の古代史、考古学の間を橋渡しするための概念といっていい。
古代史には「オリエント」というポピュラーな地域がある。文明発祥地のひとつであることは言うまでもない。現在のイラン・イラクを中心に、西あるいは西南にシリア、レバノン、イスラエル、ヨルダン、時としてエジプトを含むこともある領域である。
新聞では「中東」として登場するが、その他「近東」「中近東」など、日本語ではそれぞれが厳密にはどのような領域を含んでいるのかは必ずしも自明のことではないようだ。
この「オリエント」などの言葉で形容される古代史は、一般にチグリス川、ユーフラテス川の「メソポタミア文明」を中心に展開され、いわゆる「肥沃な三日月」地帯が舞台となる。ナイル川の「エジプト文明」は古代史の中でも特にポピュラーであり、それ自体でひとつの分野となっている。
さて「オリエント」は元来ラテン語で「陽の昇る場所」といったようなことを意味しているが、フランス語には「レバント Levant」という似たようなことを意味する言葉がある。普通「東」を意味するが、それが英語に受容され、古代史の文脈で用いられるときに「東地中海岸」という意味を派生させるに至る。現在のシリア、レバノン、イスラエルあたりである。
この地域の古代を多岐にわたって探求していくことがここでの主な目的である。副題に「イスラエルとその周辺」とあるように、関心は主に現在イスラエル、パレスティナ自治区と呼ばれている地域に向けられる。
しかし、主題は必ずしも「東地中海“岸”」ではない。伝統的にオリエント古代史の研究は、陸続きの関係を重視してきた。二大文明を両端にひかえた一大文明領域の歴史である。最近では小アジア(現トルコ)のアナトリア文明と共に三大勢力の歴史として記述されることが一般的になってきたが、いずれにしても視点は「陸続き」である。
オリエントの地図を「レバント」の海岸線を中心にして線対象に引っ繰り返すと、そこは地中海の東半分である。視野にはギリシャが入ってくる。ミノア文化、ミケーネ文化、ギリシャ神話、ホメロス、ヘロドトスなど、古代史におけるもうひとつのポピュラーな領域である。
海は決して閉じた「行き止まり」ではない。
地中海は古くから沿岸諸地域間の海を通しての交流が盛んな内海である。地中海を股にかけて繁栄を築いたカルタゴ人を待つまでもなく、その先祖であるフェニキア人、さらには青銅器時代のカナン人も海上貿易に従事していた。一方、ギリシャ・エーゲ世界の人々も盛んに「レバント」を訪れたであろうことは、豊富な出土物が証言してくれており、年代に関する議論をはじめ、このような域外の資料は「レバント」の古代史研究において非常に大きな役割を果たしている。
古代の海上貿易に中心がおかれているわけではないが、こうした視点、つまり海との関係をも意識しながらイスラエル、パレスティナを中心とする「レバント」の歴史を探求していきたい。また、メソポタミアやエジプトとの関係を抜きにして、この地の歴史は成り立たない。つまり、ここでのテーマ「東地中海世界」とは、ギリシャ、トルコ、シリア・パレスティナ、エジプト、メソポタミアといった広い領域を含んでいるということである。
このような広い地域について網羅的に話を進めていくことは非常に難しい。時に浅く、時に深く、気ままに話題を選びながら話を進めていきたいと思っている。末長くおつき合いいただければ幸いである。